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日光廃ホテルの現実が凄い!廃れた理由とその今後について

観光地の悩み、廃墟ホテル

日光の景色

栃木県日光市にある廃ホテル、市によれば、すでに管理されていない廃ホテルは、16か所。そのうち鬼怒川地区に3か所あるということです。
壁も崩れており、肝試しと称した不法侵入に、壁一面の落書きなど、被害が後をたたずという状態です。
一つのホテルを壊すとしても、崖に建っているということもあり、1棟数億~十数億円を要する状況となっています。加えて権利関係も複雑であり、頭を悩ませています。

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日光廃ホテルに関するツイート

廃ホテル

Twitter上にある、本件に関連するリアルな意見をいくつか引用します。
他の観光街と比べて、日光はかなり深刻な状況であることがうかがえます。まさに廃墟となっているようです。

 

鬼怒川廃ホテル。所有者と連絡が取れないって、そのまま放置してたの?
助成金とか取られてない?いや、されてるよ。警察や省庁も連携して探してみたらいいと思う。
一年連絡が取れなかったら、登記抹消する法案作ったらいいんじゃない?日光市独自で。市の所有にして、国から助成してもらいましょう。

— m ppo (@mppo22241606) January 19, 2022


日光廃ホテルの状況

鬼怒川温泉
栃木県日光市といえば、静岡県の熱海温泉と並び立つ温泉街、というのはすでに昔の話。昭和の時代にはレジャーの王道と呼ばれ称された温泉観光ですが、バブルの崩壊とともに衰退し、かつての面影は見る影もない状態です。
現在の鬼怒川温泉の廃墟と化したホテル群の無残な姿は、景観を壊し、訪れる観光客に不快感を与えるまでとなってしまっています。

鬼怒川温泉とはどこにある?

「鬼怒川温泉」は、浅草から東武鉄道の特急スペーシアに乗って、片道約2時間で行ける、北関東屈指の温泉地として全国でも有名です。鬼怒川温泉近郊には、「日光江戸村」や「東武ワールドスクウェア」の様なたくさんの観光名所も存在します。

渓流沿いの廃ホテル群

渓谷を横に見る勇壮な景色の中、下流に向かって左岸には高層建築の廃墟群の風景が立ち並んでいます。だんだんと朽ち果てる建物の廃墟の群れを見ていると、鬼怒川温泉全体を暗示するようで不安にかられるようです。
特徴的なのは、廃墟となったホテル群が左岸にだけあることです。
20年ほど前から始まるこの廃墟群は、1999年の「きぬ川館本店」に続いて、2008年11月の「鬼怒川第一ホテル」、上流側が2010年廃業の「元湯星のや」と鬼怒川第一ホテルの駅寄りにある「鬼怒川観光ホテル東館」という、4つのホテルが廃墟と化している状況です。

なぜここまで廃墟となってしまったのか

なぜここまで廃墟となってしまったのか

バブル期の鬼怒川温泉といえば、企業の団体旅行客があとをたたず、収益の大半を占めており大変な盛況でした。旅館やホテル側も、「団体さま大歓迎」を前面にしており、個人旅行客には目をくれずに営業を実施してきました。廃墟の姿からは想像ができません。

温泉街には、小中学校の体育館かと思うほどの大広間がありました。
このような背景もあり、バブル末期の鬼怒川温泉は、団体客の争奪戦のため、増築、宴会場やお風呂などの設備投資におわれており、人件費や維持費が掛かるのでかなりの高額宿泊費となっていました。なかなか個人旅行で利用しようというような価格設定もされません。
ピークと思われる1993年には、年間341万人の宿泊客を数えた時もありました。

バブル崩壊とともに終わった黄金時代

バブル期に過剰とも言える設備投資を行い、まさに絶頂を迎えた鬼怒川温泉街ですが、バブル崩壊とともに団体客が減少。直接の衰退の理由となったといわれています。

足利銀行の破綻

足利銀行は、1895年開業。1975年頃から支店の数を倍加し、好景気の波に乗り、1995年には貸出金約5兆円に達しようという時代でした。温泉旅館やホテル、ゴルフ場の地元栃木県の観光業者などに対し、過剰融資を行った結果、無理な拡大路線が災いし、バブル崩壊後に不良債権が増加、破綻先に貸し出していた債権額は632億円にのぼりました。

1999年から公的資金が総額1350億円投入されましたが、相次ぐ融資先破綻の影響から、2003年にとうとう債務超過が認定され、親会社であるあしぎんファイナンシャルグループが会社更生法を申請し、経営破綻となりました。
足利銀行の破綻を受け、同銀行をメインバンクとしているホテル等が産業再生機構へ再生申請したものです。

顧客数減少に歯止めがきかない

1962年、鬼怒川公園駅が開設されたことで、1970年以降の温泉街の拡大と施設の大型化が進んできましたが、バブル崩壊後の客足の衰退が、廃墟の一因となりました。
鬼怒川温泉の宿泊客は、バブル期の景気高揚と共にホテルの大型化が進み、ピーク時には341万人の宿泊客で賑わっていましたが、その後の景気衰退に伴う団体客の減少で、宿泊客は激減しました。何とか宿泊客の減少に歯止めをかけようと、上昇に転じようと努力するものの、その成果はあがりませんでした。

温泉街の風情がない

ホテル経営者も、その顧客でさえも、鬼怒川温泉の観光地としての弱さを認めています。専門家の間でも、共同湯、文化、催しなど、宿泊施設などが本来持ち得ている顧客を呼び込む力がないと指摘されています。

なぜ壊さないのか?

なぜ壊さないのか?

4つの廃墟ホテル群は、なぜ取り壊しを行わないのでしょうか。
せっかくの日光鬼怒川の景観を台無しにしてしまっているとも言える廃墟、このままでは観光客の増加も見込めず、せっかく旅行に来たとしてもその癒しの気分も吹き飛んでしまいます。
なぜ取り壊さないのか、理由は様々だとは思いますが、所有者がはっきりしない(または現在存在しない)、再開発の予定もない、という状況であるために買い手がつかない廃墟となっています。

日光廃ホテルの今後

日光鬼怒川には、廃業して他の会社が買い取った上で取り壊したホテルは数多くあります。
廃墟をなくし、美しい景観を取り戻すことで、かつての賑わいを取り戻すことができるのではないでしょうか。

営業時間 10:00 ~ 19:00(土日祝を除く)

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